2009年1月30日金曜日

最近思うこと③

「基本も移動も型も組手を意識しながらやらないといけない」という言葉にはさらなる疑問があります。

ここで言う「組手」とはどれを指しているのでしょうか。

ルールのある競技での組手を言っているのか、ルール無用の武術的なことを言っているのかも不透明です。

もし、ルールのある組手を指すなら動作があまりにもかけ離れているのでそれは無理、武術としての空手を指すのであれば、なぜ移動や型の「一人稽古」しかしないのでしょうか?

毎週柔道と2分して武道館を使わせてもらってますが、隣の柔道の稽古を見ていると、一人で投げや寝技の稽古をしている姿なんて見たことがありません。

もちろん、空手にも一本組手や三本組手がありますが、あれは型とはつながっていません。ましてや、あんな居着いた姿勢やスローテンポで技を受けて返すこと自体不自然ですし、実際には使えないことぐらいやればすぐに分かるでしょう。

さらに、対人稽古として型の分解がありますが、稽古されていないところが殆どではないでしょうか。
その理由として
①使える使えないは別にして、意味だけ理解する程度で満足している
②稽古はしたいが、試合の組手の練習に重きを置きすぎているために、時間が取れない
③稽古してみて「使えない」と分かったから
④分解を知らない…などが考えられます。

有り得ない話ですが、わたしも三年前まで④でした。


もし冒頭の言葉が「ルールのある組手と武術としての空手両方を意識して」というのであれば、その「境目」をはっきりさせる必要があると思います。― 続く ―

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